日本のモータースポーツの起源ともいえるレース「日本グランプリ」。“いつかはマイカーを”という憧れが国内に浸透していた1960年代に生まれたこのレースは、一大エンターテインメントとして人々を魅了しました。今回から数回に分けて、'60年代を駆け抜けた日本グランプリで活躍したモデルたちをご紹介します。
1962年、三重県鈴鹿市に日本初の本格的なサーキットが誕生しました。それが、国内での自動車の普及に備えてホンダがモータースポーツ界に寄与する形で作られた“鈴鹿サーキット”です。もともと日本では第二次大戦以前から新聞社などが主催する自動車レースが行われていましたが、いずれも小規模なものでした。この鈴鹿サーキットの建設を受けて'63年に開催された第1回日本グランプリをもって、日本のモータースポーツの歴史は幕を開いたのです。
2日間でレースは11レース行われました。小型はスバル360からスズライトの軽自動車、大型はジャガーEタイプからフェラーリ250T SWBなどさまざまなクラスが参戦。なかでも海外から名を連ねたそうそうたるメンバーは、日本勢を前に純レーシングマシンの絶対的な速さと実力の差を見せつけました。 そのような注目度の高さもあって、2日間で集まった観客はなんと20万人。栄えある第1回大会が日本に与えた影響は大きく、これにより各自動車メーカーは、競って本格的にレース活動を展開するようになりました(写真はメイクアップよりリリースされた「1/43 SUBARU 360 JAPAN GP WINNER 1964」)。
第1回日本グランプリで見せつけられた外国勢の強さに立ち向かうべく日本の各メーカーが凌ぎを削るなか、日産も本格的なツーリングカーの開発に乗り出します。こうして投入されたのがスカイライン「S54B」。スカイライン1500にグロリア スーパー6用の2リッター6気筒を搭載したこのマシンの運命は、生沢徹選手の手に委ねられました。その前に立ちはだかったのが、当時の最新鋭マシン、ポルシェ904GTS。純レーシングカーとして世界のレースを席巻していたモンスターマシンと、セダンベースのスカイラインとの勝負の結果は誰の目にも明らかでした。 しかし7周目から8周目にかけて、生沢選手のスカイラインS54Bはなんとポルシェ904をオーバーテイクしてトップを快走! その瞬間、観客は総立ちになり会場は興奮の渦に巻き込まれました。結果的にトップを守ったのはその1周だけでしたが、勢いに乗ったスカイラインは2〜6位を独占。人々に感動と夢を与えたスカイラインは、優勝より価値のある一歩を踏み出したのです。写真は、生沢選手の乗車した41号車と2位を飾った39号車。エブロよりリリースされています。
後世に語り継がれるスカイライン伝説は、この第2回日本グランプリから始まったといっても過言ではありません。次回は1966年以降の日本グランプリを追っていきましょう。